頂点

万人ができること。そして、頂点を目指すなら、頑張って目標に努力することも大切だが、能力という問題がある。

誰でもできること。そして、頂点を極めることができる可能性があるもの。それは、我慢することです。

我慢することは、能力なんか関係ないのです。誰でもできることなんです。どんな境遇にある人でもできることなんです。ほぼすべての人共通で、誰でもできます。

発展途上国で、飢えに苦しむ所で生まれて人でもできます。どんなに裕福な環境で育った人でも、できることです。これは能力とは関係内ことなんです。そして、これは、小さい人ほど簡単にできます。思考が柔軟であり、成熟していない段階で、簡単にできることです。そして、それは年をとるごとに難しくなっていきます。いろんなことを学習していくごとに次第に難しくなっていく傾向があります。大の大人に我慢しろと言っても、もう無理です。なので、小さい時にそういうことを学習するかしないかで、その後の人生が大きく変わってきます。

頂点、なんでも、我慢することなんです。そうすることで、周りから支え、支えられる人になっていくのです。周りからだんだんと認められていくのです。

カリスマのでき方

カリスマってどうやってできると思いますか?

キーワードは我慢です。一度我慢するということです。

これは若い時にしかできません。しかも一回だけしかできないことです。

我慢しなくていいことを一度我慢する。言いたいこと、やりたいことを一度我慢する。

そうすると、周りがよく見えてきます。誰が何を考えているのかがよく分かるようになってきます。

ですが、決して手助けしてはいけません。見守るだけです。

するとカリスマというものが自ずとついてきます。

大和魂

昔サッカー中継を見ていて思ったこと。

素人からみても日本の体力、技術面ではおそらく勝ち目はないのは明らか。その中でもいい試合ができているのは、チームプレーの成せる技、、精神論だと強く感じる。この並外れた精神力、力はいったい何処からくるのか。それは大和魂というもの、戦後、復興を遂げた大和魂。困難を一度乗り越えたからできること。一度負けたからできること。そこから生まれる力を強く感じる。

そういう意味で、ゆとり教育というものは本当にいいのかを考えさせられる。すべてを教育することがいいことなのかを考えさせられる。失敗することを教える。これを教育する。負けずして負けることを教育する。。今の自分に、それをやはり世に問うことが一つの可能性だと分析する。

しかし、やはり、自分はそこから正しいことを経験したと思う。それは、ゆとりや、教育の重要性、人との人間関係の偉大さ。そういう意味で、負けることを無条件に人に進めることは出来なくなってしまった。。