生きる意味があるということ

人が行動するには理由が必要です。例えば、立ち上がるだけでも、冷蔵庫から何かを取るためであったり、体が少し疲れたから、立ち上がって伸びをするためだったり、人が行動するには必ず何かしらの理由があります。

そして、その一番の理由。最も大きな生きる理由。それは人間です。人と人との間で生まれる関係です。人同士の関係。それは時には負の要素を含みます。妬み恨み、復讐。これらのことも理由です。しかし、一番究極で、素晴らしいことは愛です。人を愛しているから生きる。これが人として一番正しい生き方で、一番幸せを感じる生き方です。おそらく、2,30年生きた人ならだれもがそう思うはずです。そう実感するはずです。初めはわかりません。楽しく生きられればいい。単純にそう思っているはずです。しかし、気づきます。愛というものに。(教育を受けた人間は、そのことを理解しているかもしれません。しかし、教育を受けなかった人間は、それを後世に語り継いでいくしかありません。)

生きる理由が愛であれば、人は100%以上のちからを発揮する事ができます。脳が活性化され、それにともなって心体も活性化され、いわゆる気に満ち満ちた状態になり、ちょっとした病気や障害ではその人は影響を受けません。生きる意味を見出している人は常にこのような状況で、満ち足りています。そして、その人は、目的遂行の前には決して死ぬことはなく、もし、肉体が滅んだとしても、その人の意志、志は、誰かに必ず引き継がれます。

そしてそのような状態になるにはどのようにすればいいのでしょうか。一言で言えるわけがありません。キリストは隣人を愛せよと言いました。しかし、言われて愛することが出来る人なんていません。その愛する理由、愛し方、その後に起こることを詳しく説く必要があります。脳科学の究極は、愛を科学的に解明することです。愛を誰でもわかるよう、理解することができるようにし、それを、教育に役立てることです。教育を通して、人々の精神を豊かにすることです。これが脳科学の究極であり、おそらく人類史上最大の革新となります。愛の仕組みを研究する脳科学を学んだ人間は、これらのことができるはずです。

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