感情の始まり

感情とは一つの終着点と捉えることができるのではないか。

悲しい、寂しい、楽しい、嬉しい、、人が持つ感情。。

人が思考し、よく考え、行動し、生きていく、続いていくこと、、それがどうしようもなくなった時、行き場がなくなった時、感情というものが芽生えるのではないか。

子供の初めの感情の芽生えというものはどのようなものなのか。

赤ちゃんは、感覚はあるが、大人のようなきちんとした感情というものをまだ持っていない。

考えたり、色々なことを体験したり、経験したり、その結果、どうしようもなくなった、その時、周りから助けてもらった、怒られた、何もしてもらえなかった、、このようなとき、色々な感情が芽生えるきっかけになり、そして、このようなことを何度も経験することで、徐々に感情というものが形作られていくのではないか。

しかし、もしそうだとしても、これは良いことなのだろうか。

子供の頃は楽しかった。大人と子供ではどちらが幸せをより多く感じているのだろうか。子供のほうが幸せだとするのが大方の意見ではないか。子供の頃の純粋な精神状態が、大人より幸せだとする意見が大半ではないか。

もしそうなら、それは「感情化」していなかったためではないか?子供の頃はまだ「感情化」していなく、ただ「感じていた」、だから、大人より楽しかった、幸せをより多く感じていたのではないか。大人は子供より「感じる」ことに鈍感になってしまっているのではないか。

このように考えると、感情が形作られていくということは、素直に喜ぶべきことばかりではないと思えてくる。

脳内でのネットワークが複雑になりすぎたために感情というものが進化した、ニューロンネットワークの複雑さに耐え切れないために、感情というものが生まれたと解釈することもできる。

ニューロンの発火がうまくいかなくなった、一つのニューロン発火経路が終わりを迎えた、その結果、感情というものにシフトした、新たなステージに移行したと例えることもできる。

しかし、そう考えてみても、やはり、神経生理学的に見て、ニューロンの発火経路が終わりを迎える、すなわち感情が芽生えるということは、あまり喜ばしいことではないのではないだろうか?

感情が芽生える、つまり、脳がいわゆる「老化」を始めると捉えることもできるのではないか?

では、そうならないためにはどうすればいいのか。

感情が芽生える前に行動をすることが、このニューロンの発火経路が終わることを防ぐ唯一つの方法なのではないか?

辛くなる、悲しい思いになる、、その前に、行動することが重要なのではないか?

人間関係で辛くなる前に、行動し、その原因解決に務める。

楽しくなる前に、その状態がずっと続くように、行動する、努力すると、より幸せな人生を送れるようになるのではないか。子供のように「感じる」ことが大人になってもできるのではないか。子供の頃の純粋な精神状態を維持できるのではないか。

舛添都知事の頭の中

前に進まなきゃいかん。

そうやってそれまでの地位を築いてきた。

すべての批判を成長材料に、自分の糧に変えて頑張ってきた。

はじめから完璧な人なんていません。

そういう意味で、人として一流な生き方です。

普通の人にはできない生き方です。

それゆえ、後ろを振り返るということは、それまで生きてきた自分を全否定することになるんです。

そこまで生き方を貫いてきたからこその地位。

後ろを振り返る、謝る、謝罪するということはその地位を無に帰す、あるいは、自分の人格までも否定してしまうことです。

辞任する、それ以上のことです。

 

物心ついた時から、ずっと頑張ってきた人です。

そもそも、公私混同なんて頭のなかにはありません。

公私の定義なんて頭のなかにありません。

そんなものができた時点で自分が変わってしまうはずです。

自ら進んで、身を粉にして、都民のために捧げてきた人です。

 

初めにニュースを目にした時は、大目に見てあげられないものだろうかと思っていました。

ですが、結局あのような事態になってしまった。。

 

悲しいです。

安倍首相が民間放送に出て討論している

ものすごい違和感があった。

本当、どんだけ日本って変わっちゃったんだろうと思ってしまった。

 

総理大臣が民間放送に出て討論するなんて、昔はありえなかった。

そんなことしてはいけないというような風潮さえあったような気がする。

良い意味で、伝統みたいなものが感じられた。

 

時代が変わっている。

情報化の波が押し寄せる。

 

合理主義への道。

 

とんでもない過渡期。

 

人間の本能からすれば、必然といえば必然である。

 

しかし、良いものは残さなければいけない。

合理主義では得られないものを残さなければいけない。

 

教育というものが最も大切な時期であると感じる。