大和魂

昔サッカー中継を見ていて思ったこと。

素人からみても日本の体力、技術面ではおそらく勝ち目はないのは明らか。その中でもいい試合ができているのは、チームプレーの成せる技、、精神論だと強く感じる。この並外れた精神力、力はいったい何処からくるのか。それは大和魂というもの、戦後、復興を遂げた大和魂。困難を一度乗り越えたからできること。一度負けたからできること。そこから生まれる力を強く感じる。

そういう意味で、ゆとり教育というものは本当にいいのかを考えさせられる。すべてを教育することがいいことなのかを考えさせられる。失敗することを教える。これを教育する。負けずして負けることを教育する。。今の自分に、それをやはり世に問うことが一つの可能性だと分析する。

しかし、やはり、自分はそこから正しいことを経験したと思う。それは、ゆとりや、教育の重要性、人との人間関係の偉大さ。そういう意味で、負けることを無条件に人に進めることは出来なくなってしまった。。

感情に従えば正しく生きられるのか

基本的に人間は本能に従う。例えば、苦いというものは本能的に避ける。赤ちゃんは苦いものは食べない。自然界では、苦いものには毒が含まれている可能性が高いからである。これは長い進化のうえで生物が得たもの。苦いものは避けるというものは本能で、その結果起こることは大体正しい。

そして、これが人間になると、感情というものが生まれてくる。生物の本能と同様に、それに大体人間は従う。本能と同じようにそれは大体正しいこと、あっていることだから。進化の究極といえるかもしれない。嫌いなものは避けたり、何とかしてその問題を解決しようとする。逆に好きなものには近づいたり、自分の中に取り込んだりする。十分取り込めば、もういいという感じになる。感情に従えば、だいたいは正しく人は生きることができる。

痛み

痛みとは、悪いことだと考えがちだが、あながちそうではない。慢性的な持続的な、もうどうしようもない痛みは辛いことだが、体の異変、ちょっとした痛み、早期の痛みというものは、大変重要なもので、体から感じられるとても大切なシグナルなのである。

この痛みというものに、人はもっと注意を払うべきです。痛みには原因があります。その痛みの原因をはっきりさせること。それが生活を営む上で重要で、痛みがあれば、その原因を早期に突き止め、対処していく。あるいは、自分の中で、その痛みの原因をきちんと整理していく。これが健康な生活を営む上で、最も簡単で、かつ、自然で基本的なことです。

痛みはほっておくと、麻痺してしまいます。脳が痛みを和らげるように働き、余り痛みを感じなくなってしまう。しかし、痛みの原因というものは依然そこにあり、何も変わっていない。このようなことが積み重なっていくことで、本来はありえないほどの痛みがあるはずなのに、本人、つまり脳は痛みを感じることができない状況になってしまう。体の悪い所(患部)が進行しても、本人はもう気づかなくなってしまう。このような小さな痛みを見過ごすことで、人間は不健康になっていく。そういう面があると思います。なので、痛みに気づいたら、放っておくのではなく、その原因をはっきりさせ、対処することが必要です。